領域概要

植物や微生物が生産する特化代謝産物はその構造多様性と複雑さ、高い生物活性から現在利用されている医薬品のシード化合物として大きな役割を担ってきました。特化代謝産物の生合成研究は盛んに行われ、多様な生物種由来の特化代謝産物生合成経路や生合成を担う酵素の機能や構造、発現調節機構や発現組織などについては多くが解明されています。一方で、酵素の細胞内局在や複数の生合成酵素間の相互作用を利用した生合成反応の制御機構については知見が限定的です。

植物では、連続した代謝反応を担う複数の酵素が細胞内の局所に集積することで超分子酵素複合体(特化メタボロン)を形成し、不安定中間体の分解制御や基質チャネリングによる生合成の効率化が行われることが報告されています。特化メタボロンは、一次代謝経路の自己凝集機構とは異なり、代謝反応効率化のみならず、酵素-酵素間相互作用により生合成反応における生成物選択性の制御にも関わることが判明しつつあります。

本領域では、天然特化代謝産物生合成における酵素群自己集合による生合成効率化、生合成反応制御機構を「特化メタボロン」と定義し、特化代謝産物の生合成研究が進んだ現在においても未だ大きなブラックボックスに包まれている生合成制御機構の包括的な理解と利用に向けて、植物・微生物の特化メタボロンの構造機能を解析・比較し、自然における代謝効率化・基質受け渡し・天然物構造多様性構築機構とその進化を解明し、自然を超える効率的物質生産系を確立することを目指します。

代表者ご挨拶

領域代表

森 貴裕
東京大学大学院薬学系研究科 准教授

植物や微生物は、進化の過程で自らの生存や環境との相互作用の中で、多様かつ精巧な「特化代謝産物」を生み出してきました。これらの化合物は、生命活動の中で重要な役割を担うだけでなく、人類にとっても、化学燃料、染料、医薬品など多岐にわたる用途で活用されてきた、いわば“天然の分子資源”です。近年、ゲノム解析技術をはじめとする分子生物学的手法の飛躍的な進歩により、こうした特化代謝産物がどのような生合成経路を通じて合成されるのか、またそれを担う酵素群の構造や機能などについては、体系的な理解が急速に進んできました。しかしながら、生命現象の“場”としての細胞内において、これらの酵素がどのように局在し、空間的・時間的に相互作用することで代謝反応を制御しているのか、代謝制御機構の全貌については、いまだ未踏の領域が多く残されています。

こうした中、注目されているのが、代謝酵素が細胞内で集合し、“メタボロン”と呼ばれる超分子複合体を形成する現象です。これは、複数の酵素が物理的に近接して反応を効率的に連結させることにより、不安定な中間体の分解を防ぎ、基質の受け渡しを高効率で実現する“細胞内の分子工場”とも呼べる構造です。さらに近年では、これらのメタボロンが代謝の効率化にとどまらず、酵素間の相互作用によって生成物の選択性そのものを制御するという、新たな機能的側面も浮かび上がってきています。これはまさに、生命が長い進化の過程で築き上げた、精緻な代謝制御ネットワークの一端を示すものです。一方、微生物など植物以外の生物における特化メタボロンの存在も強く示唆されているものの、その構造的・機能的な実体は、未だ霧の中にあります。実験的な証明や構造解析の報告はごくわずかであり、この分野は今まさに拓かれようとしている、フロンティアと言えるでしょう。

このような背景を踏まえ、私たちはここに「特化メタボロン」領域を新たに立ち上げました。本領域では、特化代謝産物の生合成における酵素間相互作用の構造と機能を統合的に解明し、その分子機構を原子レベルで描き出すことを目指します。この挑戦は、生命が持つ高度な分子設計原理に迫るものであり、天然物合成の全容解明のみならず、創薬や合成生物学といった応用分野にも革新をもたらす可能性を秘めています。そしてその先には、持続可能な社会を支える、次世代の有用物質生産システムの創出という大きなビジョンが広がっています。